Web3の片鱗(1)|DAOは不純物X%含有の新たなコミュニティ形態なのか
2022年06月13日
この記事を簡単にまとめると(AI要約)
目次
- 前提
- 真のコミュニティは、反省、批判、実験へ向かう動機付けを持っていない
- 真のコミュニティにはコンセンサスは必要がない
- 純度X%のアソシエーション、不純度X%のコミュニティ
- コミュニティ<>アソシエーション軸で捉えた共同体の大まかな分類と及びその長所と短所
- 「FT」「NFT」「SSI/DID」という名の人工的な防御壁を活用するWeb3共同体
前提
※「Web3の片鱗」シリーズはレポートではなく、Web3界隈の断片的な気づき(結論のない、so,what/だから何)を記したエッセイです。
DAOという名称が巷で用いられる時、その傘下に属する構成員を一括りにコミュニティと表現することがあります。例えばDAOをベースにプロダクトを開発することを「コミュニティドリブンで開発する」のように表現したりします。この言葉はコミュニティによるボトムアップの開発を意味するものですが、そこにはコミュニティの語源ともなる地縁でなるコミュニティがもつ牧歌的な印象と混じり、何となくあたたかい印象を与えてくれているように思えます。
「田舎の人は優しい」、印象が生む幻想を現実であると錯覚することは人の常ですが、コミュニティに参加すること、コミュニティに属することはこの「何となく温かい」感じを語感として纏ってるようにも感じます。それが実際そうであるかはわかりませんが。
話は変わりますが、最近とある株式会社の代表が「優秀な人を採用するより他責の人やエゴが強い人を採用しないほうが大切である」という主旨のコメントをソーシャルメディアに投稿しているシーンがふと目につきました。
コメントそれ自体は置かれた状況次第で賛否両論になるため、それについて特に述べることもありませんが、一部界隈で「それは同質性を高めることなのでは」という解釈で捉えるような意見も散見されました。
「他責の人、エゴが強い人」は必ずしも異質ではありませんし、その逆の「他責でない人、エゴが強くない人」が必ずしも同質であるとも限りませんから、その言葉と同質性に直接的な因果関係を求められるようには筆者には思えません。しかし、あえて異論を唱えた一部界隈が意図した共同体の姿に目を向け、「コミュニティ」が持つなんとなく温かい印象を与える原因をこの同質性に求めていくと、この主張は「その株式会社がアソシエーションではなく、コミュニティを志向している」ということを暗示していると言え、その意義やその目的を筆者なりに解釈すると、それはまたDAOが指すコミュニティとは別物であるようにも思えたのです。
「コミュニティ」という概念を意識的に捉え直してみるとDAOという組織形態は「不純物X%含有の新たなコミュニティ形態」なのか「純度X%含有の新たなアソシエーション形態」なのかは曖昧であり、それは明らかにコミュニティとも異なるし、その対義語であるアソシエーションとも異なります。
今回のWeb3の片鱗(1)ではこの「コミュニティ」という概念を意識的に捉え直した先にある共同体の分類を行い、その長所と短所、そしてDAOとは何か、Web3コミュニティとは何かを小論として書き記したいと思います。
なお、筆者自身もここ数年、コミュニティという言葉の意味を無批判に受け入れてDAO関連の仮説をレポート内で論じてきました。今回のレポートを通じて過去のレポートを各々に再解釈いただけますと幸いです。
【DAO関連レポート】
- はじめてのDAO【前編】|基本概念とその歴史と現状
- はじめてのDAO【後編】|DAOの類型とつくり方
- DAOとティール組織の比較考察〜高度なDAOの作り方〜|OpenLaw TributeDAOフレームワークの概要と考察【後編】
- NFTの普遍性と個別性【後編】|メタ部族社会(またはDAO)とプログラマブルNFT
上記レポート群や本シリーズはメタな視点でDAOに言及しています。より具体的なDAOの側面に触れる場合は以下の各プロジェクトの概要レポート、および月刊DAOシリーズをご参考ください。
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