DAOは組織を消したのか——意思決定の再配置

この記事を簡単にまとめると(AI要約)

目次

  • 告白
  • 組織が担っていた仕事
  • 責任者のいない学級会
  • 三つの実験的DAO
  • 沈黙は外から測れない
  • 寡頭制の鉄則
  • おわりに——配置を変えただけだった
  • 参考文献
  • 次に読むなら
連載「今更聞けないWeb3」第7回

告白

DAOについて書くと決めた。
組織を、もう一度ゼロから作り直せるとしたら、どんな形になるか。上下関係を消す。決裁を消す。役員を消す。誰でも参加できて、誰でも提案でき、すべての決定が透明に記録される。意思決定は、多くの場合、トークンの保有量に応じて配分される。理念としては、文句のつけようがない。
DAO——Decentralized Autonomous Organization、分散型自律組織。これが、その構想に与えられた名前だった。

聞いていて、自分は素直に、面白いと思った瞬間がある。組織というものに、ずっと小さな違和感を抱えていたから、その違和感を別の形で解いてくれる装置に見えた。会議が長い。決まったことが、いつの間にか変わっている。誰が決めたかが、後から辿れない。なんとなく決まった、ということになっている。これらが構造的に解消される組織、という言い方には、思春期の頃の自分が信じていたものに近い手触りがあった。

ところが、書こうとすると、どこかで詰まる。
毎回ここで詰まる。同じ場所で、毎回。
詰まる場所が、毎回はっきりしないというのが、いちばん厄介な気がしている。理念の側で詰まっているのか、実装の側で詰まっているのか、それとも、その両方の隙間で詰まっているのか。詰まりの形は、書きながら少しずつ輪郭が見えてくる。書く前には、見えない。

DAOについて書かれた文章を、いくつか読んだ。技術的な解説も、運営の事例も、実装の比較も、たくさんある。だがどれを読んでも、自分が引っかかっている場所には、なかなか触れてくれなかった。引っかかっている場所が、自分でも分かっていなかったからかもしれない。
引っかかりの正体は、たぶん、こういうことだ。DAOの説明を読むと、たいてい、組織から要らないものを取り除いた、という話が出てくる。階層を取り除いた、仲介を取り除いた、不透明さを取り除いた。だが、何かを取り除いたあとに、その場所に何が残っているのかという話は、あまり書かれていない。取り除いたら、その場所が空くだけのはずだ。空いたままにはなっていない。何かが、そこを埋めている。その何かが、いま、自分が見たいものだ。

前回、第6回でDeFiについて書いた。銀行員のいない銀行は、銀行員という人格を消して、代わりに判断を設計の段階に前倒しした。担保率を何パーセントにするか、どの資産を担保とみなすか、どのオラクルを信用するか。コードが動き出す前に、誰かが判断していた。仲介は消えたのではなく、設計者の側に沈殿した。
DAOは、その「判断の前倒し」を、組織そのものに対して行う試みだ。銀行員ではなく、組織そのものの中にいる人間を、まるごと、設計の段階に前倒しする。

白状する。自分はDAOを、一度だけ、自分で組み立てたことがある。
組み立てたといっても、コードを書いたわけではない。一年ほど前、社内Slackで雑談していた。発端は自分だった。DAOって「人間らしさ」の取り扱いで全然イメージが変わりそうだ、と書いた。怠惰DAOと忘却DAO、二つを並べて投げた。投げてから、しばらく放っておいた。

数時間後、社長が、一つ目のDAOの基本設計を投げてきた。ルール、想定される結果、人間らしさの反映、実験の仕方、観察ポイント。社内の業務の合間に書かれたとは思えない密度だった。社長は普段、組織を作る側にいる人間だ。組織を作る側にいる人間が、組織を解体しかねない装置の設計を、業務の合間に書いている。それを書きながら、社長は何を考えていただろうか。

翌朝、編集長が長文で返した。怠惰=Noとは限らない、3パターン取り得る、と論点を整え直してから、決定的な一文を投げた。「DAOの本体は投票ガバナンスじゃない。暴力によらず持続的に状態を変えられること、それ自体が本体だ」と。編集長はさらに踏み込んで、過度な制度的強制は「奪われる前に奪う」を誘発しかねない、とまで書いた。投票の話から、いつのまにか暴動の話になっていた。

その日の夕方、エンジニアが一行で書いた。「無投票=ランダム、棄権=ノーカウント、はどうでしょうか」。
三つ目のDAOは、ここで生まれた。

社長と編集長とエンジニアと自分。普段の業務での役回りは、それぞれの肩書きの通りに動いている。組織を回す者、文章を整える者、コードを書く者、提案を運ぶ者。だが、その日のSlackの中では、誰がどの役回りだったかが、滑らかにずれていた。社長が技術設計を書き、編集長が政治哲学に踏み込み、エンジニアが議論の枠組みを組み替え、自分は問題を投げて、最後に困っていた。
何に困っていたかは、覚えている。「怠惰ゆえの不参加と、熟考した結果として『語らないべきだ』と判断したうえでの沈黙を、外から区別する手段はあるのか」と書いた。一般的な対話としては、たぶん、区別できない。区別できないなら、設計の側で扱いを選ばざるを得ない。だが、扱いを選んだ瞬間に、設計者は、誰かの沈黙の意味を、勝手に書き換えている。

そのときは、面白がっていただけだ。今になって、あれは遊びではなかったと気づく。何の気なしに動かしていたつもりの三つは、組織を作るときに、自分が無意識に置いていた仮定を、外に剥がして見せていた。仮定が表に出てしまえば、もう、見なかったことにはできない。
そして、もう一つ気づいたことがある。あの日Slackで起きていたことは、本稿で書こうとしていることの、入れ子になっていた。普段の役職が一時的に溶けた小集団の中で、組織の決定構造についての思考実験が育っていった。組織を回す者、文章を整える者、コードを書く者の肩書きが滑ってずれた瞬間に、議論が立体化した。自治がうまく機能する共同体の現場には、たぶん、これと似た瞬間がある。そして、その瞬間を再現するために何が要るかを、DAOは、まだ、つかんでいない。
今回は、DAOの夢に一度だけ、本気で乗ってみる。そのあとで、ゆっくりと、何が残ったのかを見る。

組織が担っていた仕事

先に断っておく。
DAOがやったことの中で、おそらく最も本質的な事実は、別にある。匿名の不特定多数が、法人格を介さず、グローバルにインターネット越しに資金を持ち寄り、集合的に運用する組織を、初めて制度として立ち上げた——インターネット以前にも、DAO以前にも、これは不可能だった。会社という形式を取らないと資金を共同で管理できなかったし、会社という形式を取るためには、誰かが法人格の中心に立つ必要があった。DAOは、その「中心が要る」という前提を、一度外した装置だ。

これはとても大きなことだ。国境を越えた数万人が、互いを知らないまま、共通の財布を持って同じ目的のために動く、ということが、人類史上初めて、制度として可能になった。クラウドファンディングでもなく、株式会社でもなく、NPOでもない、第四の組織形式が、ここで立ち上がった。
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