ミームコインは何を売っていたのか——信じることの再配置

この記事を簡単にまとめると(AI要約)

目次

  • 犬がお金になった日
  • 冗談が動かした金額
  • 御神体のいない祭り
  • 買われていたのは事件だった
  • 手のひらの祭り
  • 祭りは終わるから祭りである
  • おわりに——冗談だけが、正直だった
  • 補遺1——退屈は誰の資産になったか
  • 補遺2——市場は何を隠しているか
  • 参考文献
  • データ出典
  • 次に読むなら
連載「今更聞けないWeb3」第9回

犬がお金になった日

ある金曜日、犬がお金になった。

最初に気づいたのは、銀行だった。窓口に「犬のお預け入れには本人確認書類が必要です」という貼り紙が出て、午前十時には、犬の売買専用の相談ブースが増設された。

ニュース番組は、犬が前日比12%上昇した、と伝えた。呼ばれた専門家は、犬にはまだ上値余地がある、と述べた。別の専門家は、犬の本源的価値を冷静に見極めるべきだ、と述べ、その足で、犬を買いに行った。
犬を持っていた者は、自分には前から犬の価値が分かっていた、と言った。持っていなかった者は、次にお金になる「犬」を、探し始めた。犬がお金になったことを不思議だと言った者は、たった一人だった。その者は、時代が読めていない、と笑われた。
やがて、カエルもお金になった。帽子をかぶった犬も、おならも、大統領の名前も、お金になった。
人々が問題にしたのは、それらがお金になったことではない。次に何がお金になるのかが、誰にも分からないことだった。

冗談が動かした金額

ここまでに書いたことは、寓話である。だが、誇張ではない。現実の方が、もう少し出来が悪い。
いつもなら、この連載はここで詰まる。分からない場所を探し、そこから書く。ところが、今回は詰まらなかった。
分からないから詰まるのではない。分かりすぎていて、手がかりがない。つるつるしている。指が、どこにも引っかからない。

犬の絵に、値札がついている。柴犬の、少し困ったような顔の写真。冗談で作られ、冗談で買われ、冗談のまま、時価総額が10兆円に迫った。作った二人は、やがて業界から距離を置いた。それでも、犬は死ななかった。

最初の犬——Dogecoinは、2013年12月6日、金曜日に生まれた。開発者は二人。Billy Markus(ビリー・マーカス)と Jackson Palmer(ジャクソン・パーマー)。当時流行していた柴犬のミーム画像を貼り、既存の暗号資産のソースコードをフォークし、いくつかのパラメータを変えただけの実装で、Palmer本人によれば「数時間で終わった」。二人とも、これは crypto 業界の熱狂に対する皮肉のつもりだった、と後年繰り返し語っている。金融を茶化す意図で作った商品が、金融として本気で扱われる——その皮肉が、両者には耐えられなかったようだ。Palmerは早々に業界から距離を置き、以降ずっと crypto 批判の側にいる。MarkusもDogecoinで富を築いたわけではなく、やがてプロジェクトを離れた。
それでも、冗談は死ななかった。むしろ、年を追うごとに肥えていった。2021年、Elon Musk(イーロン・マスク)がTwitterでDogecoinに触れるたびに、価格は数十%動いた。Muskが自身を「Dogefather」と称し、Saturday Night Liveのホストを務めた夜には、生放送の最中に価格が乱高下した。金融商品の値段を、一人の個人の発言タイミングが決める——その光景を、世界中の投資家が見た。時価総額は一時、10兆円に迫った。

そして今、冗談は工業化されている。
中心にあるのが、Solana(ソラナ)——分散ネットワークを高速化するために生まれ、Ethereumより安い取引を売りにするチェーン——上のPump.funという発行プラットフォームだ。使われるのは、ボンディング・カーブ。買い手が増えるほど価格が上がり、一定の規模に達すると、より大きな取引市場へ移される仕組みだ。Pump.funでは、誰でも無料でトークンを作成できる。名前を入れ、画像を貼り、ボタンを押す。それだけで、その瞬間から、そのトークンは市場に存在し、値段を持ち、取引される。

かつて、お金を作るには、コードが書けなければならなかった。合意形成の仕組みを発明し、それが壊れずに動くという神話を、時間をかけて育てなければならなかった。Bitcoinも、Ethereumも、そうやって立ち上がった。Pump.funは、その工程を、丸ごと省いた。コードは書けなくていい。発明も、神話も、要らない。名前と画像さえあれば、誰でも、お金を発行できる。
考えようによっては、これも一つの革命だ。「誰もがお金を作れる」という理念の、最も無駄のない実装。犬の絵に値札をつけるだけの、最先端のスマートさが、ここにある。
この工場は、Solanaの外にも広がり始めている。2026年7月、トークン化株式を看板に掲げて始動したRobinhood Chainで、先に市場の注目を集めたのは、猫を題材にしたミームコインだった。金融のために敷かれた新しい道路を、先に走り抜けたのも、動物だった。

変わったのは、作る側だけではない。載る側も、変わった。
お金に顔が載る、というのは、かつて、特別なことだった。少なくとも日本や米国をはじめ、多くの国の紙幣に描かれてきたのは、その国が「偉大な貢献者」として承認した者たちだ。政治家、思想家、文学者。顔が載ること自体が名誉で、親族はそれを誇り、国民は、紙幣を通じて、自国の偉人の顔を覚えた。誰を載せるかは、国家が握る、限られた席だった。
ミームコインは、その席を、開け放った。有名でなくてもいい。民間人でもいい。人でなくてもいい。神でなくても、ただの犬でも、カエルでも、お金になる。もっとも、日本には、八百万の神、という言い方がある。山にも、道具にも、けものにも、神は宿る。何にでも神が宿るのなら、何にでも値段が宿っても、不思議はないのかもしれない。

発行されるトークンは、多い日には1日に2万を超える。そのほとんどが、数時間から数日で無価値になる。より大きな取引所へ「卒業」する——一定の時価総額に到達する——トークンの比率は、1〜2%に届かない。98%以上の冗談が、投げ込まれた瞬間から、死んでいる。それでも、発行は止まらない。

2025年1月17日——これも金曜日だった——Donald Trump(ドナルド・トランプ)の名を冠したTRUMPコインが、Solana上にローンチされた。大統領就任式の3日前だ。発行から24時間で、将来発行される全量まで含めた評価額(FDV)は270億ドル——約4兆円——に達した。史上最大級のミームコインの誕生だった。就任式まで価格は保たれ、その後、価格の大半を失うのに、数週間もかからなかった。次期大統領の名を冠した金融商品が、就任式の熱狂と共に生まれ、就任式の熱狂と共に消えた。中身は、最初から、事件そのものだった。

日本語圏も、この熱狂から無縁ではない。Discordや有料コミュニティでは、初動情報が売買され、深夜のタイムラインで日本語の合言葉が交わされる。YouTuberやインフルエンサーが「アルファ情報」——早期エントリーの機会——を配り、参加者が同じトークンへ一斉に向かう。数分でチャートが跳ね、数分で崩れる。そこで得た利益も、そこで負った損失も、その日のうちに次のミームへ再投入される。忘却と同じ速度で、資本が回っている。

詐欺と祭りの境界も、単純には引けない。発行者が事前に大量保有していたトークンを、価格が上がった瞬間に売り抜ける——「ラグプル(rug pull)」と呼ばれる行為が、日常的に起きている。だが、多くのミームコインには、そもそもホワイトペーパーがない。明示された約束もない。発行者が売り抜けても、「約束を破った」ことにはならない。何も約束していなかったからだ。参加者は、ただ騙されたのではない。祭りが終わっただけだと、本人もどこかで知っている。詐欺と、ただ終わった祭りの境界は、約束を破ったかどうか、という基準だけでは、引けない。最初から、明示された約束がないからだ。線が引きにくいこと自体が、この商品の設計に埋め込まれている。
これを、詐欺の一語で片付けることはできる。実際、詐欺も無数に混ざっている。だが、それだけでは届かない。担ぎ手の多くは、自分が何を買っているかを、ある程度知っている。終わる祭りだと知りながら、終わる前に入った。明示された約束がない以上、何をもって裏切りと呼ぶのかさえ、曖昧になる。

前回、トラストレスの回の最後に書いた。何も約束せず、それでも売れた商品を見る、と。信頼を要さないトラストレスの次に来たのは、約束を要さない商品——Promiseless だった。
信じていない者たちが、互いに本気では信じていないと知りながら、それでも買う。ミームコインは、この構造を、これほど剥き出しにした金融商品だ。
本稿が問うのは、これが正しいかどうかではない。何が買われていたのか、だ。値札はついていた。金は動いた。なら、何かが売られていたはずだ。棚には、何も置かれていないのに。

その問いに進む前に、白状しておくことがある。今朝、目が覚めて、体を起こす前に、スマホを手に取った。親指で、画面を下へ引く。ニュースが、更新される。市況が、更新される。何も起きていなかった。世界は、昨日のままだった。新しく何かがお金になってはいなかった。そして自分は、少し落胆した。

何も起きていないことに、落胆した。
犬がお金になったことを不思議だと言って笑われた者が、冒頭に一人だけいた。自分は、あの者にはなれていない。
続きは有料会員限定です
  • 月額 9,990円〜で国内最大級のWeb3リサーチが読み放題
  • DeFi / NFT / DAOなど2,000本以上のレポートを網羅
  • 投資判断や事業検討に使える実務視点の分析
  • 基礎から最新動向までプロフェッショナルな情報にアクセス
すでにご登録済みの方は
無料会員登録は

【PR】 SBI VCトレードの口座をお持ちのお客さまは
SBI VCトレード ロゴログインしてレポートを読む
口座をお持ちでない方はこちら >

※免責事項:本レポートは、いかなる種類の法的または財政的な助言とみなされるものではありません。