イーサリアムはなぜ別物なのか——『プログラムできる都市』が抱えた神官のいない神殿

この記事を簡単にまとめると(AI要約)

目次

  • 告白
  • 1. 人類は信用をどこに置いてきたか
    • 「信用」が移動する瞬間
    • もう一つの補助線——Polanyi
  • 2. 「コードを信じる」という奇妙さ
  • 3. 「ほとんど既存技術で出来る」問題
  • 4. 「夢の技術」ではない
  • 5. コードより人間が勝った日——The DAO事件
  • 6. 神話は消えない
  • おわりに——神官のいない神殿
  • 参考文献
  • 次に読むなら
連載「今更聞けないWeb3」第2回

告白

スマートコントラクト、ガス代、DAO、DeFi——わからない言葉だけが並んでいる時点で、自分もまた詰まる。高校の古文の授業を思い出す。未然、連用、終止、連体。

前回、Bitcoin(ビットコイン)について書いた。書き終えたとき、少しだけわかった気になった。金の延べ棒だ、法定通貨への不信任票だ、初期微動だ——そう言い切れば、輪郭は見えた。Ethereum(イーサリアム)についても、同じ回で「万能工場の土地」という比喩を使って、Bitcoinとの違いを機能の広さという軸で整理した。

ところが今回、Ethereumを主役として向き合ってみると、その比喩では届かない部分があると気付いた。何でも乗せられる万能工場の土地、という説明は機能の広さを示すには有効だ。だが、なぜその土地が必要とされたのか、という問いには答えていない。機能の広さではなく、信用の構造——今回はその角度からEthereumを見てみたい。

さて、Ethereumのわからなさは、Bitcoinのわからなさと種類が違う。Bitcoinのわからなさは「そもそも何なのか、価値の根拠がどこにあるのか」という一点に集中していた。他方、Ethereumのわからなさは、方向が多すぎる。スマートコントラクトが何なのか。ガス代とは何への対価なのか。DAOは組織なのか、ただの投票機なのか。DeFiは金融なのか、金融ごっこなのか。

毎回ここで詰まる。

今回はその詰まりと正直に向き合う。ただし、前回と同じ方針で。技術の中には入らない。「制度と神話の翻訳」だけをやる。

1. 人類は信用をどこに置いてきたか

まず一歩引いて、大きな問いから入りたい。今回は五本の補助線を引きながらEthereumに近づく。信用の置き場の歴史、コードを信じることの奇妙さ、既存技術との比較、監視と統治の問題、神話の機能。

人間はいつも何かを信じることで社会を動かしてきた。重要なのは「何を信じるか」という中身ではなく、「信用をどこに置くか」という構造の話だ、と自分には見える。
前回出した7分類の表を、もう一度ここに置いておく。第1回はBTCの行だけを深掘りしたが、今回はETHの行に進むための足場として、改めて参照したい。

図1. 暗号資産・伝統資産の7分類(筆者による暫定分類)。筆者作成(再掲)

「価値の源泉」の列を縦に眺めると、国家の約束、自然の希少性、コードの希少性、プログラム可能な土台——根拠の置き場が一つずつズレている。これは「信用をどこに置くか」の歴史そのものだ。少し遠回りになるが、その歴史をたどる。

「信用」が移動する瞬間

村社会では、顔が信用の置き場だった。同じ村に住む人間の顔を知っている、だから信用できる。見知らぬ他人には簡単に物を貸さない。信用の射程は、顔の見える範囲と一致していた。
宗教が登場すると、信用の置き場が拡張した。神の前で誓った約束は、村の外の人間とも結べる。「あの人は嘘をつかない、なぜなら神を恐れているから」という論理で、見知らぬ他者との取引が可能になった。
神殿はその物理的な置き場だった。古代の神殿は、宗教施設である以前に、債務記録と穀物保管と信用仲介を兼ねていた。最初期の信用インフラは神殿だった。
前回の記事でYuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)を引いて書いたように、十字軍の時代、キリスト教徒とイスラム教徒は互いを異教徒として殺し合いながら、金貨を介しては取引していた。神は違えど、金貨は同じだった。信用の置き場が「神」から「金属」へと移動した瞬間でもある。
国家は信用の射程をさらに広げた。Max Weber(マックス・ウェーバー)が「正当な暴力を独占する共同体」と呼んだ仕組みは、裁判所、差し押さえ、強制執行を裏に置く。最終的に暴力装置が裏打ちしているから、見知らぬ他人との大規模な取引が可能になった。
銀行はその国家の暴力を前提に「帳簿」を置いた。あなたが100万円持っているのは、銀行の帳簿に「100万円」と書いてあるからで、その帳簿を信じているからだ。さらに法律は、その帳簿群を支えるメタな層として立ち上がった。証券取引所、中央清算機関、保管振替機関——これらはすべて「誰かの帳簿を正確に保つ仕組み」で、最終的には法律が「これは正しい記録だ」と保証することで動いている。現代金融のほぼ全体は、この法律と帳簿への信用に乗っている。
さらに、知らぬ間に、GAFAがそこに「サーバ」という新しい置き場を加えた。Googleのサーバが「この情報は正しい」と判定する。Amazonのサーバが「この商品を注文した」と記録する。MetaのサーバがあなたのIDを管理する。国家の裏付けがなくても、圧倒的な市場支配力を持つ企業のサーバが、新しい信用の置き場になった。

そして、Ethereumは言った。コードでいい、と。

顔→神→暴力→帳簿→法律→サーバ——信用の置き場は、人類の歴史を通じて変わり続けてきた。Ethereumはその系譜の末尾に、新しい候補として「コード」を持ち込んだ。この変遷を一枚で整理するとこうなる。

図2.信用の置き場の変遷。筆者作成

もう一つの補助線——Polanyi

ここまでが信用の系譜だ。もう一度、別の角度から見ておきたい。

ここでKarl Polanyi(カール・ポランニー)の『大転換』を引きたい。前回の記事でも一度Polanyiの名前を出したが、思考実験として軽く触れただけで素通りした。Ethereumを論じるなら、もう少し立ち入る必要がある。Ethereumを論じるならPolanyi を引かないわけにいかないと本気で思っているが、調べた限りでは、Web3入門記事でこんなことを書く奴は他にいない。
Polanyiの議論はこうだ。前近代社会では、経済は社会制度に「埋め込まれて」いた。市場は宗教や慣習や共同体に組み込まれた一要素にすぎず、独立して動くものではなかった。ところが19世紀、産業革命と共に「自己調整市場」という思想が立ち上がり、経済を社会から引き剥がそうとした。土地・労働・貨幣という、本来は商品ではないものを商品として扱う擬制——Polanyiはこれを「擬制商品」と呼んだ——によって、市場は社会から自律したかに見えた。だが、その引き剥がしは反動を呼んだ。労働運動が、保護主義が、ファシズムが、ニューディールが、20世紀前半に同時多発的に噴き出した。社会が市場を取り戻そうとする運動だ。これがPolanyiの言う「大転換」だ。

ここから読み取れるのは、経済はいつも何かに「埋め込まれて」いて、その埋め込み先を変える運動が歴史を動かしてきた、ということだ。前近代では共同体と宗教に埋め込まれていた。19世紀には自己調整市場という思想の中に埋め込まれた。20世紀には国家と企業のヒエラルキーに埋め込まれた。そのたびに人々は「これは自然な状態だ」と言い、その後で「いや違った」と気付いてきた。

Ethereumはその「埋め込み先」を変えようとしている。国家でも銀行でも企業サーバでもなく、誰でも読めるコードの中に制度を埋め込もうとした。だがPolanyiの視点を本気で受け止めるなら、ここにも擬制がある。コードは中立な道具ではない。誰がそのコードを書き、誰がそれを動かすインフラを所有しているかという問題は残る。コードという中立に見える基盤を信用の置き場として「商品化」する試みは、それ自体が新しい擬制だ。Ethereumは擬制から逃れているのではなく、擬制の置き換えを試みている。その革命性は、ここを冷静に見極めないと評価できない。

Polanyiが見たら、おそらく面白がるだろう。あるいは肩をすくめるだろう。市場の埋め込み先を「コード」に変えたところで、結局は新しい擬制商品を作っているに過ぎない、と。だがそれでも、置き換えの試みそのものは、歴史の文脈に並べる価値がある。
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