【論考】ウォール街はトラストレスの何を拒み、何を欲するのか——「信頼の再配線」が描くブロックチェーンの次の姿

2026年04月22日
この記事を簡単にまとめると(AI要約)
4月の第3週、暗号資産業界では一見無関係に見える四つの出来事がほぼ同時に起きている。ビットコインにプライバシーレイヤーを追加するVerifiedXが機関投資家向けの秘匿化サービスを発表し(出所:VerifiedX brings privacy layer to Bitcoin as institutional demand for confidentiality grows, CoinDesk, 2026年4月16日)、XRP Ledgerはゼロ知識証明(ZKP)を実装して「金額を隠したまま正当性を証明できる」機能のテストネット検証を完了し(出所:XRP Ledger adds zero-knowledge proofs targeting institutional privacy gap, CoinDesk, 2026年4月14日)、米大手証券チャールズ・シュワブが自社プラットフォーム上でビットコイン・イーサリアムの個人向け現物取引を開始すると公表し(出所:Charles Schwab to roll out spot Bitcoin, Ether trading for retail clients, CoinTelegraph, 2026年4月17日)、さらに同時期、StripeとParadigmが共同開発するLayer 1ブロックチェーンTempoが、機関投資家向けの秘匿実行環境「Zones」を公式に発表している(出所:Privacy on Tempo, Tempo(@tempo), X, 2026年4月16日)。
表面的にはこれら四つの出来事は互いに無関係に見えるが、少し立ち止まって眺めてみると、それらが指し示す方向は一致しており、機関投資家は暗号資産の「信頼の構造」を自分たちの言語に翻訳しようとしている、という一点に収斂していく。
そこで一つの問いが浮かび上がる。ブロックチェーンの本来の設計思想は「トラストレス(信頼不要)」だったはずであり、にもかかわらずなぜ今、機関投資家はプライバシー技術を必要としているのだろうか。

「トラストレス」という言葉の罠

「トラストレス」とは、銀行のような仲介者を信頼しなくても取引が成立することを意味する概念であり、ブロックチェーンが取引履歴を誰でも検証できる形で記録し、分散したノード群によるコンセンサスで二重支払いや改ざんを排除することで、特定の人間や組織への信頼を前提とせずに価値の移転を成立させる——これこそが、サトシ・ナカモトが2009年にビットコインを設計した際の根本的な発想であった。その後、Nick Szaboが1990年代に提唱していた「スマートコントラクト」の概念がイーサリアムによって2015年に本格実装されたことで、「トラストレス」の射程は価値の記録にとどまらず、コードによる契約の自動執行そのものへと拡張されていった。
この哲学にウォール街の金融機関が難色を示しているのは、単なる保守主義からだろうか。
この機関投資家の視点を、暗号資産取引所の運用セキュリティという具体的な切り口から鋭く提示しているのが、Bitget CEOのGracy ChenがCoinDeskに寄稿した論考「Wall Street won't buy 'trustless' security promises」(出所:同論考, Gracy Chen, CoinDesk, 2026年4月16日)である。Chenによれば、多くの取引所はダッシュボード、準備金のスナップショット、ユーザー保護基金、公式声明といった「見栄えのする演出」にリソースを割いている一方で、日々のリスク管理が実際にどう運用されているかを検証可能な形では示しておらず、こうした現状をChenは「セキュリティ・シアター(安全の劇場)」に過ぎないと断じている。そして機関投資家はすでに取引所のセキュリティを広告ではなく「基本的なカウンターパーティリスク」として扱い始めており、求めているのは「trust us」という標語ではなく、統制の証拠、職務分離、独立した保証、そして危機下でも機能する対応計画——すなわち検証可能な運用規律であるとChenは論じる。
ここで論じられているのは中央集権取引所の内部統制であり、本稿がこの後扱うプロトコル層のプライバシー/ZKPや、さらに商品・アクセス層でのETF・ブローカレッジといった別レイヤーの議論とは、本来位相が異なる。ただし本稿が追っている「信頼の再配線」という構造は、これらのレイヤーを横断して同時並行で現れているものであり、Chenが描き出した機関投資家の論理——抽象的な「trust us」を受け付けず、検証可能な手続きと証拠を要求する姿勢——は、そのままプロトコル層の設計論にもスライドする。取引所に向けられた「準備金の数学的証明」「承認プロセスの職務分離」を求める視線は、プロトコルに対しては「秘匿と証明の両立」「規制対応可能な特権アクセス」という要件として現れており、レイヤーは違えど機関投資家が求める「信頼」の質——「誰も信頼しない世界」ではなく「検証された手続きと制度によって担保される信頼」——は通底している。「誰も信頼しなくていい」という素朴な命題は、彼らの世界観とは根本的に相容れない。
もっとも、機関投資家がブロックチェーンの「トラストレス」性を全面的に拒絶しているのかと言えば、事態はそれほど単純ではない。彼らはZKPやTempo Zonesのようなプロトコル層のプライバシー・トラスト設計を積極的に評価しており、ある種の「トラストレス」性はむしろ歓迎する側に回っている。つまり「ZKPで暗号学的に証明します」というプロトコル層の提案は積極的に歓迎する一方で、「規制当局も含めて誰も信頼しなくていい」という命題は頑なに拒絶する、という一見矛盾した態度が同時に成立しているわけであり、その正体は「トラストレス」という言葉そのものに立ち入ったときに初めて見えてくる。
すなわち「トラストレス」という一語は、実のところスコープの異なる二つの意味を同時に指し示しており、機関投資家はその一方を歓迎しつつ、もう一方を拒絶している——両者を分けていないがゆえに生じるのが、先の矛盾に見える姿である。
一つは「単一の仲介者や特定国家への依存を構造的に減らす」という限定的な意味である。ある銀行が破綻しても資産を守れる、特定国家の差し押さえに巻き込まれずに価値を移転できる、といった単一障害点の排除を指しており、これは機関投資家にとって歓迎すべき性質であり、むしろブロックチェーンの価値として彼らが実際に評価している側面でもある。もう一つは「規制当局や監査機関までを含めた一切の第三者を不要にする」という包括的な解釈であって、こちらは機関投資家にとって受け入れがたい。コンプライアンス担当者からすれば「誰も取引を監視できない」環境は、AML/KYC義務や証券規制との折り合いがつかないことをそのまま意味してしまうからである。
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